SUPER BEAVER直筆サイン入りポスターを1名様にプレゼント!

SUPER BEAVER profile

SUPER BEAVER直筆サイン入りポスターを1名様にプレゼント!

渋谷龍太(Vo)、柳沢亮太(G)、上杉研太(B)、藤原“34才”広明(Dr)の4人によって2005年に東京で結成されたロックバンド。2009年6月にEPICレコードジャパンよりシングル「深呼吸」でメジャーデビュー。2011年に活動の場をメジャーからインディーズへと移し、年間100本以上のライブを実施。2012年に自主レーベルI×L×P× RECORDSを立ち上げ、2013年にmurffin discs内のロックレーベル[NOiD]とタッグを組んでの活動をスタートさせた。結成15周年を迎えた2020年、Sony Music Recordsと契約を結んだことを発表し、6月にメジャー再契約第1弾となるシングル「ハイライト / ひとりで生きていたならば」をリリース。2021年2月にアルバム「アイラヴユー」を発表した。5月にテレビ朝日系ドラマ「あのときキスしておけば」の主題歌「愛しい人」を表題曲としたシングルを発売し、7月に映画「東京リベンジャーズ」の主題歌を表題曲としたシングル「名前を呼ぶよ」をリリース。2022年2月にはフルアルバム「東京」をリリースし、今回11月30日、TVアニメ『僕のヒーローアカデミア』第6期オープニングテーマとなるシングル「ひたむき」がリリースされる。

2005年4月に結成した東京都出身4人組ロックバンド「SUPER BEAVER」。一度メジャーからインディーズに活動の場を移しましたが、2020年4月にメジャー再契約を表明し、同年6月にSony Music Labelsより「ハイライト/ひとりで生きていたならば」をリリース。2021年には3都市6公演のアリーナツアーを開催し、全公演SOLD OUT。その後も制作やライブなど精力的に音楽活動を続け、2022年11月30日にはTVアニメ「僕のヒーローアカデミア」第6期オープニングテーマとなるシングル「ひたむき」をリリースします。今回はバンド結成18年目となる彼らの、音楽・バンドへの思いや、高校時代のお話をうかがうとともに、高校生のみなさんへの応援メッセージをいただきました。

今回の『ひたむき』はどんな楽曲でしょうか?どんな思いで制作されましたか?

柳沢人それぞれに違う価値観・思想・正義がある中で、それでもどこかで分かり合える瞬間もあるのではないかという希望や、その希望を信じ続けていたいという気持ちが音楽になったような歌だと思います。TVアニメ「僕のヒーローアカデミア」第6期の主題歌ということもあり、登場人物たちの姿勢やそれぞれの背景を思いながら書きました。「諦めることで楽になるのではなく、信じ続けることで生まれる苦しみの先で、意思を持って笑えたら」という思いを込めた楽曲です。

藤原ひたむきに何かに打ち込む人、前へ進もうとしてる人、その背中を少し押せるような楽曲になっていると思います。

上杉今の自分達が凝縮されている楽曲です。音、歌詞においても今までの軌跡があって辿り着けたと感じています。

『ひたむき』の好きな歌詞や好きな部分など、ぜひ教えてください。

全員「いつだって今日が人生のピーク」という部分が好きですね。

柳沢良しも悪しもいずれにしても、いつでも今日が最新の自分であり、もしかしたら最後の日かもしれない。それが最期まで毎日続いていくことを「いつだって今日が人生のピーク」と書くことができた時は、自分でもハッとした瞬間でした。

いろんな人に届いてほしい楽曲かと思いますが、特にどんな人に聞いてほしい、届けたい、などはありますか?

渋谷誰に向けてという限定的な気持ちはありませんが、何かにひたむきに向き合いたい時、向き合わなければいけない時などに聞いていただけたら、この曲が力になれるのではないかと思っています。

柳沢今を一生懸命に頑張っている人や、不安と正面から戦おうとしている人に届いてほしいです。

上杉年齢、職業、今の状況等関係なく、1人でも多くの方に聞いていただけたら嬉しいです。

藤原「僕のヒーローアカデミア」が好きな方にはもちろん聞いてもらいたいです。他にも、ひたむきに生きる方、生きたい方の人生のテーマソングのような楽曲になれたら嬉しいです。

結成したのが高校生の頃と伺いました。バンドをやりたいと思ったきっかけは何でしょうか。

上杉中学生の時に、自分らしく生きていくために自分の未来へのレールは自分で引きたいと思い、その気持ちを形にするために楽器を買いバンドを始めました。

柳沢僕とDr.藤原は小学校6年生の頃に初めてバンドを組みました。最初はただ憧れから始めた音楽ですが、放課後のスポーツやゲームが楽器を練習することに変わり、どんどんと夢中になっていき、今に続いています。SUPER BEAVERとしては、Ba.上杉が声をかけてくれたことが結成のきっかけです。

藤原小学生の頃、Gt.柳沢に声をかけてもらい一緒にバンド活動を始めました。ずっと一緒にやっていたので、自然な流れでSUPER BEAVERも一緒にやることになりました。

渋谷きっかけは、Ba.上杉に声をかけてもらったからです。最初はバンドや音楽をやることにあまり興味がありませんでしたが、23歳の頃にメジャー落ちを経験し、自分がどうして音楽をやりたいのかという理由が明確になった時、「バンドをやりたい」と心から思うことができました。

高校生の頃はどんな生徒でしたか?

渋谷ただの目立ちたがり屋でした。目立てばかっこいい、目立てばモテると思っていました。その考えは間違っていなかったと思いますが、自分の方向性が少しブレていたため「かっこいい、モテる」に至りませんでしたね。悔しいです。

柳沢行事ごとに張り切るタイプの生徒だったと思います。男女関係なくみんなで楽しくワイワイするのが好きでした。

上杉昔から変わった人間だったので、高校生の頃も変わった生徒だったと思います(笑)。

藤原あまり学校にも行かず四六時中バンドばかりやっていました。授業中は寝てばかりで……昼飯を食べて元気に帰るような生徒でした。

勉強は得意でしたか?アドバイスなどあればぜひお願いします。

上杉やるとなったらとことんやる性格だったので、成績は良かったです。勉強が自分のやりたいことに繋がるという確信を持つことができれば、やる気も出ると思います。

藤原勉強は苦手でした……。ピンチの時はクラスで1番頭のいい子を捕まえて、テストに出そうなところを教えてもらっていました。

柳沢不得意でした。高校受験のタイミングが一番勉強に励んでいた気がしますね。

渋谷苦手でも得意でもなかったです。ただ、誰に見せるわけでもないのにノートや資料は完璧に作らないと気が済まない性格だったので、効率はものすごく悪かった気がします。そして内容を頭に入れる前に、そのノートや資料を綺麗に作ったことで達成した気になってしまっていたので、やはり勉強は苦手だったのかもしれません。

高校生の頃の印象に残っている思い出を教えてください。

上杉高校でバンドを組んで今につながっているので、やはりバンド活動ですね。

柳沢体育祭の時期だけに発足する有志の応援団での活動です。体育会系のノリの厳しい練習がありましたが、特有のキラメキがあったように思いますし、思い出に残っています。ちなみに一学年上のBa.上杉が団長、Vo.渋谷は集団長と呼ばれる旗を振る役職についており、自分も翌年に副団長をやりました(笑)。

藤原体育祭ですね。他のメンバー3人の体育祭も遊びに行ったのですが、3人とも応援団をやっていてすごく気合いが入っていて楽しそうでした。

渋谷高校は私服通学OKの学校に通っていました。僕は新宿区育ちなのですが、高校に入学して渋谷区育ちの同級生を見たときに、洋服のセンスの良さに驚かされました。その頃の僕は身だしなみに無頓着だったので、遊ぶより何より、いの一番に僕の服を選びに行ってくれた友人たちをよく覚えています。

進路を考える高校3年生の時期、どのように考え、どんな進路を決断されましたか?

渋谷僕はその頃やりたいことがありませんでした。夢や目標もあやふやで、やりたいこととやりたくないことの分別もついていなかったと思います。とりあえず父の背中を追い掛け、調理師免許を取得しようと専門学校へ進学しましたが、本当に「とりあえず」といった選択だったと思います。

柳沢自分は音楽でご飯を食べていきたい!と決めていたので、高校入学時点で大学や専門学校への進学は考えていませんでした。わかりやすいゴールへの道がある業界ではないので、漠然とした不安がなかったわけではないですが、高校在学中にコンテストに出演したり、少しづつではありますがその時にできることはいろいろ考えていたと思います。

上杉高校生の頃は学生でいられる猶予期間としか思っていませんでしたので、何が何でもバンドでのし上がって行くにはどうしたら良いかをずっと考えていた気がします。

藤原音楽の専門学校に行くことも一度考えましたが、それよりも「今バンドをやりたい」という気持ちが強かったので、進学せずバンドの道に進みました。

高校時代を振り返って「ああしておけばよかった」ということはありますか?

渋谷自分が高校生の時を思い返してみたら、社会に出たら二度と経験出来ないことばかりだったなという印象です。中でも「遊ぶこと」ですね。なので男女問わず兎に角遊ぶ。青春の真価など考えずに、とにかく若さを濫用して遊ぶ。若さが故、遊びかたが多少ダサくても大丈夫という保険も付いていることですし、皆さんは目いっぱい遊んでください。

藤原僕は遅刻や欠席ばかりだったので、もっときちんと通って高校生を楽しんでも良かったかなと思います。部活もやっていなかったので、何かスポーツなどをやっておけばよかったと思うこともありますね。

上杉今もとても楽しいので、特にないですね。今の高校生には「時間があるうちに遊びたいだけ遊んどけよ」って思います。

尊敬する、目標とする人はいますか?

渋谷両親、地元の友達です。自分の「かっこいい」の物差しは両親と地元の友達で形成されています。こういう人間になりたい、こんな風に生きたい、こんなふうに思いやりを持ちたい、というような殆どは、三十代の真ん中になってもいまだに変わりません。そんな尊敬する両親や仲間たちと早く肩を並べたいと、今でも思っています。

柳沢年々両親のことは尊敬しますね。自分の中で一番古い記憶として残る両親と、今の自分が同じような年齢になってきているので、自分もそんな人間になれたら良いと思っています。

上杉僕は、憧れたってその人にはなれないと考えているので特に尊敬する人はいません。昨日の自分より今日の自分が素晴らしくいられれば、人と自分を比較する必要はないと思っています。

藤原お笑い芸人さんですね。人を笑わせたり笑顔にすることが出来るって素晴らしいことだと思います。笑うと元気になりますよね。これからも笑って生きていたいです。

どんなバンドでありたいと考えていますか?また、今後のバンドとしての目標はありますか?

渋谷自分以外の人に楽しんでもらいたい。自分が楽しむことを絶対に蔑ろにしない。そんなバンドでありたいと思っています。

柳沢これまで以上に楽しく、そして皆さんに楽しんでいただけるバンドであり続けたいなと思います。これからもまっすぐ、ひたむきなバンドでありたいです。

上杉年をとっても、今日が1番幸せだと思える理由が「SUPER BEAVER」であればいいと思います。自分や、自分達の「一生懸命」と「生き様」が、誰かの何かになれるようなバンドであれたら最高です。

藤原心の底から笑って泣けるような、今よりいいライブを沢山やりたいです。そして優しくて強いヒーローみたいなバンドでありたいと思っています。

今後の個人的にやりたいことや目標などはありますか?

上杉個人的にやりたいことかぁ。のんびりと釣りでもしたいですね。ずっとやりたいと言っているのですが、なかなかできていないので(笑)。

柳沢断捨離ができる人間になりたい、です。

渋谷個人の目標は、今が過去最高に元気で体力もあるので、十年後も同じことを言っていたいです。

最後に、読者の高校生に応援メッセージをお願いします。

渋谷おそらく後になってから気が付くことばかりだと思います。間違いなくたくさん後悔が残るし、思い通りにいかないこともたくさんあると思います。なので、そういうもんだ、と思っておいてください。それは「デタラメにやれ」というわけではなく、心を軽くするという意味で覚えておいて貰えるといいのかな、と。とりあえず自分で責任を持って好き勝手やってみてください。

柳沢「これからのこと」において全員に当てはまる正解はないと思いますし、周りと比べる必要も、比べられる筋合いもないと思います。〈楽〉ではなく〈楽しく〉いられる選択を積み重ねていけたら素敵なのかなと思います。あなたのこれからが楽しくありますように。頑張れ!

上杉失敗を恐れずに好きなこと、信じたものを大事にしてください。嫌なことには嫌と言える勇気も大切です。今はいなくても、自分と同じような価値観の人に必ず出会えます。努力は望んだ形に必ずなるわけではないかもしれませんが、経験はあなたを裏切りません。沢山笑って、沢山泣いて突き進んでください。

藤原高校生活、楽しめる方は目一杯楽しんでください。やりたいことが無くてもいいと思うし、好きなことがあるなら好きを突き詰めたらもっと楽しめると思います。何かあったらいつでもライブに来てください。いつでもライブして待ってまーす!

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